ほら、
おいらたちが子供の頃って、なんだかんだ親戚の人とか家に集まる機会って多かったじゃんね。
やれ地区の祭りだ、やれお盆だ正月だなんていって、年に数回は必ず集まっていたように思う。
別に親戚が集まったところで大したことはしないんだよね。
いつもよりちょっと豪華な飯食って、酒飲んで。
ワーって騒いで、たわいもないこと話したり。
で、そういう大人たちが集まっている様子って、子供のおいらからすれば、なんだかものすごくカッコよく見えたんだよね。
自分にはよくわからない世の中の難しいことを話したり、「なんだかしんねーけどすげー!」って感じがして。
おいらもその輪の中に入りたくて仕方なくて。
わかるかな?
輪の外から構ってほしくて”それっぽいこと”を言おうとするんだけど、全然それっぽくならない。
おじさんたちは笑って構ってくれないし、ムキになって頓珍漢なことを演説していると、
「おい、最近どうだ?勉強頑張ってるか?(笑)」
なんていって、大きな手で頭を撫でられながら、お酒でほろ酔いになった赤い笑顔に声をかけられたり。
気づけば時計の針が21時をまわっている。
いつもなら
「布団に入りなさいっ!!」
って怒られるような時間に起きていても、その日だけは特別。
お母さんのお手伝いをしようと、煙草とお酒の匂いのする台所に。
それだけで、なんだか自分が急に大人の仲間入りをしたような気持ちになって、どこか高揚感もあって。
子供心ながら、そういう集まりは結構好きだったんだよね。
いつもは静かな家が少し賑やかになって。
周りの大人たちからは構ってもらえて、そこになんの不安もなくって。
眠くなったら布団に入る。
こんな時間がずーっと続けばいいな。
そんな余韻を楽しみながら、また明日がくるのをワクワクしている。
気づけば朝になって、また”いつもの日常”が始まって。
そんな記憶、心の片隅にないかな?
そういう集まりにいる「おじさんたち」。
その”場”の主役じゃないけど、脇役でもない。
映画でいえば、地味だけど、結構いい味出してる登場人物っていうのかな。
たまにカッコいいセリフでストーリーを盛り上げたり。
そんな「おじさんたち」って、なんだかすごくカッコよかったんだよね。
普段、あまり話をしないお父さんと違って、色んなことを教えてくれるし、時にはお小遣いもくれたりなんかして。
いっつもお酒を飲んで楽しそうで。
でも、色んなことを知っていて、たまにお父さんやお母さんに色んなことを教えたり。
「おじさんたち」がいれば何も怖くないや。
なんだかわからないけど、そんな安心感にも似た気持ちがそこにはあったんだよね。
でも、最近気づいたんだ。
気づけばおいらも、そんな「おじさんたち」と同じ年齢になってきたってことに。
お酒を飲んで楽しそうにしていた「おじさんたち」
なんでも知っていた風に見えた「おじさんたち」
今自分がその「おじさんたち」になりつつある中で感じることは、
ああ、「おじさんたち」も実は結構大変だったんだよな、と。
自分でおじさんになってみて感じること。
それは、意外とカッコよくもないし、なんでも知ってるわけでもない、ってこと。
会社では怒られることもあるし、情けない姿をさらすこともある。
聞かれても知らないことが多くてグーグルに頼ることなんてしょっちゅうだし、最近は若い子の使うアプリにもついていけなくなってきた。
正直、自分が子供の頃に感じていた「すごい」という気持ちに応えられるようなおじさんになっているかといえば、自分でもクエスチョンだ。
でも、きっと昔の自分と同じ年齢の子供からすれば、
楽しそうに酒飲んで、
くだらないこといって、
でも、色んなことを知っているように見えるんだろうな。
本当は楽しくて酒を飲んでいるわけじゃないんだけどなあ。
「本当はこんなおっさんになるはずじゃなかった。。。」
そんな思いがないわけでもないんだけどなあ。
あの頃感じた
「おじさんたち」がいれば何も怖くないや。
そんな気持ち。
今のおいらはそんな風に見えるんだろうか?
そんな風に思ってもらえるんだろうか?
おいらにとっての「おじさんたち」はもういない。
今度はおいらがその「おじさんたち」の一人になる番だ。
平成がおわり、令和になろうとしている。
よし、
もう少しだけ、もう少しだけ。
カッコいいおじさんを目指してみよーかな?
なんか、そんな風に思った。
安いコーヒーチェーンのコーヒーは飲み干した。
よし、
またいつもの”戦場”に戻るとするか。
「おじさん」が怖がってどうするんだ、ってんだ。